プレリリース 2023.3.29
上智大学理工学部機能創造理工学科の高井健一教授、千葉隆弘氏(同大学大学院、現:日本製鉄株式会社)らの研究グループは、水素によって金属が脆くなる現象(水素脆化)の原因について調査し、実際の破壊に近い破面を実験室で再現する試験方法を開発し、その新しい試験方法で破壊した結晶粒界破面直下の領域に存在する格子欠陥の詳細を明らかにしました。また、この粒界破壊(※1)が起こる機構は、従来から報告されている水素による原子間凝集力の低下のみが要因でなく、破壊する直前の局所的な塑性変形(※2)により形成する原子空孔や空孔クラスタの水素による助長も要因であることを実証しました。本研究をさらに発展させることにより、金属材料が水素によって脆くなるメカニズムの解明、およびそれをベースに強度と延性低下の抑制手法の開発につながることが期待されます。
水素原子が金属材料内部に入り込むことで、強度や延性を低下させることが知られています。特に、高強度鋼は水素によって脆くなりやすく、粒界破壊や擬へき開破壊(※3)を引き起こすことが知られています。しかしながら、影響する因子が多く、互いに複雑に絡み合うため、その詳細な機構に関する統一的な見解は得られていませんでした。本研究グループは、実使用環境で起こる水素による破壊を再現できる試験方法の開発、およびそのメカニズムの詳細を解明することを目的とし、研究を進めてきました。
本研究では、従来の水素脆化試験方法である荷重を連続的に増加する引張試験、および一定荷重を負荷する定荷重試験とは異なり、逆に、荷重を低減させながら繰り返し荷重を負荷する荷重低減試験方法を開発し、焼戻しマルテンサイト鋼(※4)を水素脆化破壊させました。得られた破面は、ほぼ全面にわたり粒界破面となりました。粒界破面を含んだ試験片と粒界破面を含まない破面から離れた領域の試験片を準備し、低温昇温脱離法(L-TDS, ※5)をはじめとした各種分析を行いました。その結果、粒界破面を含むその直下の試験片では、原子空孔に対応するトレーサー水素(※6)のピークが出現しました。また、電子線後方散乱回折法(EBSD, ※7)や電子チャネリングコントラストイメージング法(ECCI, ※8)による解析結果から、粒界破面直下に局所的な塑性変形、および粒界近傍にナノボイド(※9)の連結が観察されました。本研究成果により、水素脆化は、従来提唱されてきた水素による原子間凝集力低下機構だけでなく、複数のメカニズムが相乗的にはたらくことで生じる破壊現象であることが解明されました。
本研究成果は、2022年10月1日に国際学術誌「Scripta Materialia」にオンライン掲載されました。
水素原子が材料中に吸蔵されることで材料の強度が低下し、脆くなる現象を水素脆化といいます。例えば、鉄鋼などの金属材料が高圧の水素ガスと接触すると、水素原子が材料内部に侵入して壊れやすくなります。特に高強度の金属材料は水素の感受性が高いため、使用できる場面が激減してしまうことが課題でした。そのため、一連のメカニズムの解明と強度低下の改善が求められてきました。
この現象については、主に以下の3つのメカニズムが提唱されてきました。
水素により高強度鋼が粒界破壊される際、一般的に大きな塑性変形が見られないため、従来は①HEDE機構で説明できると考えられてきました。しかしながら、純鉄やニッケル合金などの低強度鋼については、粒界破壊する直前に塑性変形を伴うため、単純に①HEDE機構だけでは説明できない部分もあり、詳細は未解明のままでした。
まず、水素添加有り無しの焼戻しマルテンサイト鋼(JIS-SCM435)を試験片として準備しました。引張試験により、水素添加無しの試験片は1501MPa、水素添加有りの試験片は729MPaの引張強さを示すことがわかりました。また新しく開発した荷重低減試験により、試験片のほぼ全面に粒界破壊面を形成させることを試みました。この荷重低減試験は、水素添加しながらの引張試験において、引張応力が引張強さ(UTS, ※10)に達した直後に荷重を除去する操作を繰り返すことでUTSを低減させるという目的で行いました。荷重低減試験はUTSが30MPaに達するまで続けられ、その後,試験片は破断しました。水素添加無しの試験片では主にカップアンドコーン破壊(※11)、水素添加有りの試験片では主にほぼ全面にわたり粒界破壊が生じることが明らかとなりました。
次に、粒界破面およびその直下に存在する格子欠陥について調べるため、粒界破面含む試験片と粒界破面含まない(破面から遠方)試験片を準備し、温度範囲-200〜200℃、昇温速度1℃/minでL-TDSを用いて測定を行いました。各試験片におけるピーク温度とトレーサー水素量は、粒界破面を含まない試験片では約30℃、0.076 mass ppm、粒界破面を含む試験片では約30℃と約80℃、0.128 mass ppmとなり、粒界破面を含む試験片では新たな高温側ピークが出現し、トレーサー水素量が増加することがわかりました。従来の知見から、高温側のピークは原子空孔などから放出された水素に対応していることが知られており、粒界破面およびその直下では、原子空孔の形成促進が見出されました。
最後に、水素による粒界破壊が局所的な塑性変形と関連しているかどうかを明らかにするため、EBSDやECCIを用いて、荷重低減試験を中断して得られた試験片の表面観察を行いました。その結果、旧オーステナイト粒界に沿った明瞭なクラックが見られ、2つの典型的な領域A、Bの存在が確認されました。領域Aでは、材料の粒界破壊に対して塑性変形がほとんど影響していないことがわかりました。これは、①HEDE機構が重要なメカニズムであることを示しています。一方、領域Bでは、旧オーステナイト粒界に沿って、き裂とナノボイドが混在していることがわかりました。特に、ナノボイド周辺ではマルテンサイト組織が判別しにくいほど高ひずみ領域であることを見出しました。この特徴は、粒界破面直下の局所領域での塑性変形を支持する直接的な証拠となっています。そのため、①HEDE機構だけでなく、②HELP機構や③HESIV機構などの複数の機構の相乗効果によって、水素よる粒界破壊が引き起こされることが実証されました。
本研究の成果について、研究を主導した高井教授は「今後、ガソリン車、電気自動車、燃料電池車、水素エンジン車と駆動系は変化しても、安全かつエネルギー消費の少ない自動車を作るには、高強度鋼が必要不可欠です。しかし、鋼の強度を上昇させると水素脆化の感受性も増加してしまうことが課題でした。本研究は水素脆化のメカニズム解明、ひいては水素脆化抑制につながる基礎的知見であり、低炭素社会に向けたさらなる高強度鋼の適応の可能性を秘めています。また、脱炭素社会の実現に向けた安全な水素エネルギー社会インフラ構築を通して、クリーンエネルギーであるSDGs-7に影響を与える可能性もあります」と、今後の研究の進展に期待を寄せています。
※1 粒界破壊: 材料を構成する結晶粒の境界に沿って破壊が起こること。
※2 塑性変形: 外力を取り除いても、材料の形が元に戻らない変形。
※3 擬へき開破壊: 結晶粒の境界に沿って破壊する粒界破壊に対して、結晶粒内を脆性的に破壊する場合のことであり、多数の微小な脆性き裂が発生成長し、延性的に合体する破壊のこと。
※4 焼戻しマルテンサイト鋼: 鋼を高温のオーステナイト状態から急冷しマルテンサイト組織とし、その後、A1温度以下で焼戻しを施した高強度鋼のこと。
※5 低温昇温脱離分析法(L-TDS, Low-temperature thermal desorption spectroscopy):通常の室温から試験片を加熱し脱離するガス成分を検出する昇温脱離法に対して、-200℃の低い温度から加熱し脱離するガス成分を測定する手法。
※6 トレーサー水素: 金属材料内の格子欠陥の種類と量を調べるために、外部から目印として導入する水素のこと。
※7 電子線後方散乱回折法(EBSD, Electron backscatter diffraction): 測定する試料に電子線を照射し、試料表面~約50nmの各結晶面で回折した電子線の後方散乱回折パターンを測定することで、結晶学的な情報を得る測定手法。
※8 電子チャネリングコントラストイメージング法(ECCI, Electron channeling contrast imaging): 電子線回折によって電子線量が変化することを利用し、原子レベルでの構造を観察する手法。
※9 ナノボイド: ナノスケールの空孔や空洞。
※10 引張強さ: 引張荷重を受ける材料が破断せずに耐えうる最大荷重。
※11 カップアンドコーン破壊: 引張試験において破壊して2つになった試験片の先端が、一方はくぼんだ形で、他方は円すい様の形になること。
■研究の内容について
上智大学 理工学部 機能創造理工学科
教授 高井 健一 (E-mail: takai-k@sophia.ac.jp)
■報道関係のお問合せ
上智学院広報グループ
E-mail: sophiapr-co@sophia.ac.jp